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入院生活も3日目となり、注射なども大分慣れてきた。
最初はパンフレットを見ながら確認しつつ行っていたのだが、もうほとんど自分一人でも大丈夫になっている。
そんな折、主治医から「血糖値が下がらないようなので、明日から注射の回数を増やしましょう」と言われて軽く落ち込んだ。
慣れてきたといえ、痛みはあまり変わらない。回数が増えるというのは、それだけ苦痛が増えるということでもある。
仕方ないこととはいえ、ちょっと切ない。
入院2日目。
痛みに耐えつつ、少しずつ血糖測定とインスリン注射の手順を覚えていく。
インスリン注射で、どれだけ劇的に血糖値が下がるものかと期待したが、あまり数値は変わらず。
医師の話によると、高血糖状態が長く続くと、インスリンの効果が出るまで時間がかかる場合があるという。
また、急激に血糖値を下げるのも色々と危険が伴うため、このまま少しずつ慣らしていくのが良いと説明を受けた。
午後からは友人が見舞いに来てくれたが、話しこむ間に体のだるさと、やや手が汗ばむような感覚をおぼえる。
もしや低血糖か? と考えるも、結局は気のせいであったらしい。
夜には、仕事を終えた旦那も顔を出す。
面会時間が過ぎて彼が帰った後、同室の方に「あの人はお兄ちゃん?」と訊かれ、「いえ、主人です」と答えるといたく驚かれた。
「あなた、高校生じゃなかったの?」
「いえ、今年で23歳になりましたが……」
「あらあらそうだったの、じゃあ新婚さん?」
「そろそろ丸2年になるので、新婚ってわけでも」
「え!? ってことは21歳で結婚? お子さんは?」
「……まだです」
どうも、世間では『若くして結婚=できちゃった婚』というイメージが強いらしい。
それはそれとして、私はそんなに既婚者に見えないのか。さらに高校生に間違われるほどなのか。
二十歳を過ぎて化粧っ気があまりないのも、原因の一つなのだろうが……。
本日より入院。
病棟は7階、4人部屋の窓側のベッドをあてがわれる。
ネットで事前に調べた通り、病室に専用のトイレと洗面台があり、ベッド同士の間隔もかなり広い。
さらに、シャワー室の利用が9時から17時までの間であればいつでも可能。気温の上がってきたこの時期には、非常に有難く思える。
入院直後は諸々の説明を受けることに追われ、なかなかベッドで落ち着いて横になっていられない。
特に、血糖自己測定とインスリン注射は今日から開始なので、一通りの流れは事前に頭に入れておく必要がある。
昼食前から血糖測定開始。
ごく細い針をセットした器具を消毒した指先に当て、ボタンを押して針を刺し、採血を行う。
文字にしてしまえば簡単で、実際慣れてしまえばどうということはないのだが、やはり最初は腰が引けてしまい、なかなか針が刺さらない(器具が指から離れていたのが原因)。
覚悟を決めて指に器具をしっかり押し当て、ボタンに軽く力をこめる。
小さなバネの衝撃とともに、軽い痛みが指先に走った。
看護師さんの手前、平静を装ってはいたものの、内心では「この先ずっと、食事前にこんな思いをするのか……」とげんなりした気分に襲われる。
血液を血糖測定器に差し込んだチップに染み込ませ、消毒綿で指を拭きつつ待つこと十数秒。
『318mg/dl』の文字が、測定器の画面に表示された。
手順はすぐに覚えられそうだが、針の痛みに慣れるまでは少しかかりそうだな、とぼんやり思う。
その後、昼食。
自己流で食事療法を行っていた最近の食事と比較すると、かなり量が多い。よく見ると、名札に書かれている指示カロリーも成人男子並みの数が書かれている。
慌てて「こんなに食べても大丈夫ですか」と訊くと、
「今は体重減少が激しいので、まずしっかり食べて下さい。落ち着いたら、徐々に量を本来のカロリーに戻しますから」 との返答。
入院して食事量が減る話はよく聞くけど、増えるってのはあまり聞かないな……と思いつつも、残さず食べる。
午後には胸部のX線撮影を行い、夕食前にいよいよインスリン注射初体験。
血糖測定の穿刺も緊張するが、こちらはその比ではない。何しろ、自分の腹に注射針を刺すのだ。
打つ時の姿勢といい、まるで切腹のようである。
注射を手に固まる私を見て、看護師さんが
「できるだけ、お腹の肉の厚いところに打つと痛みが少ないですよ」
と教えてくれたのだが、その直後、
「……でも、ぜんぜん肉ないですよね……」と気まずそうに付け加えられる。
そこまで気を遣わせてしまうのも申し訳ないので、思い切ってえいやっと注射。
強がってはみたものの、やはり痛い。
「これから、こういった感じで注射をしていく形になりますけど、ご自分で続けられそうですか?」
「ええ、大丈夫だと思います」
……本当は、ちょっと泣きたかった。
数日後、旦那に連れられて病院に足を運んでみると、案の定かなり混んでいた。
受付で、予約をしていないので診察までにはかなり時間を要し、さらに紹介状なしの初診ということで余分に診療費が加算される、と伝えられるが、いずれも事前に了解済みである。
ある程度を越えた規模の病院の場合、前にかかっていた医療機関の紹介状がなければ初診時に余計な金がかかる、ということは医療事務の経験上知ってはいたが、例の医者に対して
「あなたは医師として信用できません。他の病院に行くので紹介状を下さい」
とは言い出しづらかったので、ここは我慢を決めこんだのだ。
(病院を選ぶ権利は患者にあるのだから、本来遠慮するところではないのだろうが)
そうやって待つこと数時間。昼近くになって、ようやく診察の番が回ってきた。
簡単にこれまでの経過を説明し、前の医院での検査結果のコピーを手渡す。
『HbA1c 15.4%』の数値を見て、「ず、随分と高いですね……」と、軽く言葉を失う医師。
まっとうな反応が返ってきて、内心で軽く安堵する私がそこにいた。
「――話を聞く限り、インスリンの分泌が不足する1型糖尿病の疑いがあるので、こちらでもいくつか検査をしたいのですが、お時間は大丈夫ですか」
ええ、喜んで。
……とは流石に言わなかったが、こういう対応を私が求めていたのは事実である。
検査結果待ちで、さらに1時間余りを要することになったが、必要とあらば仕方がない。
そして。私は、ようやくその言葉を聞くことができたのだった。
「やはり、1型糖尿病のようですね」
インスリン自己注射や血糖測定の基礎を覚えるため、数週間の入院が必要との説明を受け、1週間後の6月25日からの入院が決定。
最初は「衰弱も激しいようなので、できればすぐにでも入院した方がいい」と即日入院を勧められたのだが、生まれて初めての入院ということで不安もあり、しっかり準備をしてからということになった。
病院を後にしてから、心の中で呟く。
……やっぱり、重症だったんじゃないか。
病院を変えることを決めたはいいのだが、実際どこの病院に行けば良いのか、さっぱり見当がつかない。
ネットで調べればいわゆる『糖尿病専門医』はいくらでも出てくるのだが、情報が大まかすぎて、病院の実像がいまいち掴めないのだ。
再び病院選びで失敗して、これ以上余計な時間を消費することは避けたい。そこで、私は年長の友人に相談してみることにした。
彼は快く相談に乗ってくれ、病院に詳しいという彼の友人(その後、個人的に私も彼と知り合うことになったのだが、それはまた別の話になるので割愛)を通して、いくつかの病院をリストアップしてくれた。
それらを再びネットで検索して吟味しつつ、比較的自宅からも通いやすく、入院施設が新しくて整っていそうな病院に決めた。
そこが、2007年1月現在、私が通院している病院である。つまり、私は安心して任せられる病院に巡りあえたというわけだ。
この場を借りて、友人たちには深く感謝したい。
糖尿病が発覚してからというもの、私の生活はがらりと変わった。
早寝早起きとバランスの取れた食事を心がけ、暇さえあればネットで情報を集める。
まだ体力の消耗が激しく、運動ができる状態ではなかったが、それでも体調は少しだけ上向きになった。
しかし、日を追うごとに、膨れ上がっていくもう一つの不安がある。主治医のことだ。
果たして、この医者は大丈夫なのだろうか?
考えてみると、初診の時からロクな説明を受けた記憶がない。
こちらから質問をしてみても、気の抜けるような答えばかりが返って来る。
食事療法のことを聞くつもりで「食事はどうしたら良いでしょうか」と訊けば、
「食べ過ぎないようにしてね」 の、一言で終了。
「私の血糖値ってかなり高いみたいですけど、入院は必要ないですか」 と訊けば、
「あなたの場合、そこまで重症じゃないから」 と、事も無げに言う。
HbA1c15.4%を叩き出した患者の、一体どこが重症でないというのか。
ちょっと調べれば、素人であっても、この数字が尋常でないことくらいはわかる。
さらにこの医師、通院のたびに尿糖ばかり調べていて、肝心の血糖値は一向に測ってくれない。
尿糖なんてものは、血糖値が大体160~180mg/dlを越えたあたりから出るものであって、陰性だからといって血糖値が正常であるとは限らないし、そもそも血糖値が400mg/dlに近い私の現状を考えれば“出ないはずがない”のだ。
一番心配だったのは、私の糖尿病が1型・2型のどちらに属するものなのか、それを判断できるような検査をまったく行わなかったこと。
もし1型であった場合、現在の治療はまったく意味をなさない。
食事療法や、生活のリズムを整えることは大切だが、それにプラスしてインスリンの自己注射が必須となる。
内服薬など、1型の患者にとっては気休めにしかならないのだ。
ある日、私は一縷の望みを託して訊いてみた。
「糖尿病って、1型と2型がありますよね?」
言外に、「私は一体どちらなのでしょう? できれば検査していただけませんか?」という思惑をこめての質問だった。
対する医師の答えはこうだ。
「あるよ。インスリンを打つ方と、打たない方ね」
患者向けにできるだけ簡潔な説明を、と考えているのかもしれないが、この返答“だけ”で済ませるのはあまりに酷いのではなかろうか。
インスリン治療の有無は、1型・2型を分ける絶対の指標ではない。
1型が必ずインスリン注射を要するのは確かだが、2型であっても病状によってはインスリンを用いるケースが数多くある。
結局、この言葉が病院を変える最後の決め手となった。
5月、桜の季節が遅い札幌でも、花見の時期が過ぎようという頃。
とうとう、体重は40kgジャストまで落ちた。
身長158cmの私が、この数字でBMI(身長と体重から割り出す肥満度の指数)を出してみると、結果は16。標準値が22、18.5未満で『痩せている』と判断されることを考えると、明らかに低い。
実際、見た目も無惨なもので、Tシャツの上から胸骨が透けて見えるまでになっていた。
背中に触れればくっきりと肋骨が浮き出し、板の間に座れば尾てい骨が痛んでろくに座っていられない。
例の乳がん疑惑から何もかもが億劫になり、ずっと旦那の「病院に行け」発言を無視し続けていた私も、ここに来て観念せざるを得なくなった。
覚悟を決めて、近所の内科医院に足を運ぶことにしたのである。
検査の結果は、空腹時血糖375mg/dl、HbA1c15.4%。
HbA1cから計算しても、ここ数ヶ月の血糖値の平均は400mg/dl前後を叩き出していたということになる。
当然、すぐに『糖尿病』という診断が下されたが、医師から病気についての詳しい説明はなく、いくつかの内服薬を出されただけで診察は終わった。
帰宅した私は、半ば呆然とした思考のまま、ネットで糖尿病のことを調べて回った。
ショックが大きかったということもあるが、何となくあの医師に任せきりにしていては危険な気がしたのである。
病名が判明した以上、自分の体は自分で管理していかなければならない。
合併症のこと、食事療法のこと、覚えるべき内容は山ほどあった。
――糖尿病は、決して完治することはありません。たとえ症状がなくなっても、一生涯に渡って自己管理を続ける必要があります。
ふと、こんな一文に目が留まる。
思わず泣きたい気分に襲われたが、負けるわけにはいかない。
――血糖コントロールがきちんと行われていれば、恐ろしい合併症を予防し、健康な人とまったく変わらない生活を送ることが可能です。
そう。まだ、手遅れではないはず。23歳、人生はこれからだ。
そして、この日から私の長い戦いが始まる。
雪解けの季節となっても、状態は少しも改善しない。
体重は減り続けており、52kgあった体重は既に45kgを割っていた。
食欲がなかったわけではなく、むしろ普段より食べる量は増えている。
ただ、この時は既にインスリンの分泌量が激減していたと考えられるため、いくら食べ物を摂取しても私の身体はそれをエネルギーとして取り込むことができない。
足りない分は今までに貯め込んだ脂肪を燃やすことで補うしかなく、結果、どんどん痩せていく。
一方、吸収しきれない栄養はそのまま血糖値の一部となり、さらなる病状の悪化を招く。
食べれば食べるほど衰えるなんて、燃費が悪いにもほどがある。
体重減少以上に私を悩ませたのは、耐え難いほどの喉の渇き、そしてそこから派生する多飲・多尿である。
この時期、私が1日に消費する水分はゆうに4リットルを越えていた。1.5ペットボトルなんて、あっという間に空にしてしまう。
口にしていたのは清涼飲料水やスポーツドリンクがほとんどで、おかげで血糖値はさらに跳ね上がっていたと考えられる。
そうすると、排尿の際、糖とともに大量の水分が失われるので再び喉が渇く。そして、欲しいだけ飲んでしまう。
糖尿病における、典型的な悪循環に陥っていたわけだ。とにかく飲みまくり、その端からトイレに行きまくった。
そろそろ、自分の体に何が起こっているか気付いても良さそうなものだが、この期に及んでも、私はまだ「疲れやすいだけ」と言い張り、病院に足を運ぶことを拒んだ。
そればかりか、友人に『糖尿病』の可能性を指摘されてさえ、まったく聞き入れようとしなかった。
真実を知るのを恐れ、逃げていただけかもしれない。
3月に入り、私は体調不良を抱えたまま23歳の誕生日を迎えることになった。
相変わらず喉の渇きは治まらず、体重のグラフは緩やかながらも下降を続けている。
体力は回復するどころか低下する一方で、この頃は買い物に出かけるだけで息切れがするほどになっていた。
外出するのも億劫になり、気分も塞ぎがちになっていたある日、私は自分の左胸に1×1.5cmくらいのしこりができていることに気付く。
咄嗟に、最悪の仮説が脳裏にひらめいた。
――もしかしたら、乳がんかもしれない。
そうであれば、この原因不明の体重減少やらもつじつまが合うではないか。
至って短絡的な思考と、『がん』という病名に対する怯えに突き動かされて、私はすぐさま検査を受けた。
万が一、乳がんであったとしても、早期に発見できれば生存率は決して低くはない。
自分に繰り返し言い聞かせても、精密検査の結果が出るまでは正直生きた心地がしなかった。
結局、しこりの正体は良性の繊維腺腫であると判明。
ホッと一息ついたのもつかの間、体調不良の原因究明は振り出しへと戻ってしまった。
(もし、この時に一般的な血液検査も受けていたとしたら、血糖値の変動で糖尿病と容易に診断できただろう。しかし、乳がん検診とそこから派生する精密検査には、そういった項目は含まれていないのである)
訳もわからぬまま、体重はなおも減っていく。
いいから、素直に内科に行けよ……と、2007年にこれを書いている私などは思うが、人間、弱ると冷静な判断力を失うものらしい。
件の風邪で1週間寝込み、ようやく熱が下がった後も、私の体調はなかなか回復しなかった。
咽喉のいがらっぽさと咳が続き、体力の低下も激しい。そして、やけに口が渇く。
高熱が続いたことで、体内の水分のバランスでも崩れたのだろうと勝手に結論付けて、私は身体が欲しがるまま、スポーツドリンクなどをがぶ飲みしていた。
体重は半月で1kgほど減っていたが、この状態では無理もないと、さほど気に留めなかった。
――異様な喉の渇き、体重減少、体力低下。
これらは、いずれも糖尿病における自覚症状に当てはまる。
しかし、当時の私はそのような可能性はまったく考えもせず、ただ風邪の治りが遅れているだけだと思い込んでいた。
今となっては恥ずかしい話だが、この時点では、私もまだ『糖尿病は成人病であって、若者がかかる病気ではない』という先入観があったように思う。
整形外科の事務職とはいえ、仮にも医療機関に勤めた経験のある人間としては、あまりにお粗末すぎる判断ではないだろうか。
知識として『糖尿病』という病名は知っていても、それが自分に降りかかってくるとは想像できなかったのだ。
そんな私の甘さをよそに、病状は静かに悪化の道を辿っていく。
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なかなか安定しない血糖値に悩まされていたところ、夫・386によってMTBの道に誘われる。
現在はレース出場を目指してトレーニングの日々。